本文へジャンプホームページ タイトル
旅行記
           
日本

テラス蓼科・テニス合宿
(平成24年10月17日脱稿)

      温泉旅行には然して関心が無かったテニス仲間から、テニス能力の強化合宿を兼ねた温泉旅行の提案があった。私には今以上に上手くなりたいとの願望はなかった(理由は本文にて)が、張り切った仲間に誘われて相乗りをした。

   今冬の歴史的な寒波(露天風呂の湯水混合栓やセントラル・ヒーティングの配管も破裂⇒漏水)に強襲され、外出が億劫になり30℃を維持した居間の炬燵でビール満喫の籠城生活。その影響か体調を崩し、ゴルフもカート抜きでは無理なほどの虚弱な脚力に落っこちた。遂に意を決し連休明けの5/6から断酒決行。序に3人の整形外科の名医が推奨していた全く同じ方法論に基づく大腿筋の強化特訓も自宅で開始。

   効果覿面(てきめん)。体調も回復してきたと感覚的には自己評価をしていた。今年3回目となる9/14のがん検診の結果の告知を9/24に受けた。テニスの合宿(9/11-12)後だったが、肝機能とコレストロール値の
劇的な回復(健康時に完全復帰)を知り『余生が延びた』と、ほっと一息。肝機能とコレストロール各種検査値とは連動しているようだ。

   トヨタ自動車の最新の保養所のひとつ『テラス蓼科』(長野県茅野市)は何度も出掛けた保養所だ。石油危機(1973年秋)以前に建てられていた健康保険組合直営の保養所は老朽化して人気も下落。改築しても曜日間の繁閑の差は縮まらず、遂に何箇所かは閉鎖された。

   その反省からか、テラス蓼科の建設運営にはトヨタ自動車と取引がある土日出勤の販売店などにも参加を呼びかけた結果、組合員(約70社)の休日も平準化し平日でも80%の大盛況。豊田市から200Km程度の近隣なのも人気の要因のようだ。夕・朝食はバイキング、部屋はロフト(2ベッド+トイレ)付きの4人部屋。居間も広く、最新鋭の観光ホテルに勝るとも劣らない。
   
   我がテニス仲間が日ごろ使うコートはオムニコート(人工芝の隙間に砂が撒かれている)だが、テラス蓼科はカーペットコート(やや柔らかいウレタンチップを固めた絨毯)4面。ボールの反発は強いが直ぐに慣れた。秋本番の高原テニスは予想以上に快適だった。半世紀以上も前の、今上天皇の婚約時代は富裕層だけが満喫していた高原テニスだが、いつの間にか庶民でも可能になったのだ。


 

   上に戻る

はじめに

      我が温泉旅行は、いつも盛り沢山な計画がびっしり。私が『旅聖人』とニックネームを付けている国内旅行に超詳しい仲間がインターネットも駆使し、旅行社のプロも考え及ばないほどに充実した行程計画を立ててくれるおかげだ。

   でも今回は例外。初日の午後と翌日の午前は各4時間のテニスの強化訓練に時間を掬われ、観光は残念ながら省略。しかし信州名物の有名蕎麦屋に詳しい仲間も参加していた。おかげで旅は一層楽しくなった。
   
上に戻る

蕎麦屋

      信州は蕎麦の本場。幹線道路筋には蕎麦屋が乱立。共存共栄が出来るのだろうかと心配するほどだ。仲間の一人は取分け蕎麦屋の評判にも詳しい。お目当ての蕎麦屋は本日休業でがっかり。週日(今回は火⇒水)旅行はホテル代が安くなる場合が多く、引退老人には何よりの福音。でも、年中無休が多かった家族経営の飲食店でも『休業日』を設定する時代に突入していたのだ。



   『手打ち、十割(とわり)蕎麦』との大きな看板を発見して一安心。美しく手入れされた日本庭園前で記念撮影。旅行の場合は必ずピカピカに磨かれた立派な革靴を履く(奥様の愛情表現?)仲間も。右から3人目の私は国内でも海外旅行でも、履き慣れた愛用のテニスシューズ1本槍。荷物が減少するだけではない。足が疲れずに重宝している。



   昼食時なのに『十割蕎麦は売り切れた』と看板娘。看板に騙されたような心境。でも、出直すのも面倒になり『二八(にはち)蕎麦』で我慢。二八蕎麦とは言うものの、通常は造り易さから小麦粉を30%は混入するらしいが『三七蕎麦』の看板は見たことがない。過大広告の一種だ。

   小食化した老人の常。夕食用に胃袋の一部を確保したくて、蕎麦一杯だけの昼食。左端の大食漢だけが大盛。大盛の価格は通常25%増し程度だが、麺の量はどこでも5割増しだ。2倍盛にするところは、我が体験では愛知県大府市にあるJAの産直市場『げんきの郷』内のレストランだけだ。直ぐ近くの『愛知健康の森』は公営のためコート代が安く人気抜群だが、籤に当たらないと使えない。

   げんきの郷は産直市場としての売り上げは20億円/年を超え全国でも第3位とか。流石にサービス精神満点。昼時のレストラン部門は平均30分待ち。私は今春のモロッコ旅行以降は、生ビールの注文時に『泡は美味しくないから不用。発生した泡は捨て、ジョッキに溢れるまでビールを注ぐように』と言い足すのが常。それでも若きウェイトレスは嫌な顔つきも見せず、厚さが2cm程度の泡を載せて運んでくる。仲間にも勧める注文法だが、紳士達は成り行き任せの5cmもの泡付きビールを不満げに飲んでいる。
   
上に戻る

テニスコート
コートの種類 材質 特徴 球足
アンツーカー
コート
赤土 ・ボールが弾みやすいがバウンドしてから失速する。
・イレギュラーが多い。
・コートに弾力があり足腰への負担が小さい。
遅い
オムニコート 砂入り人工芝 ・ボールが滑りやすい。
・ボールはあまり弾まない。
クレイコート ・ボールが弾みやすいがバウンドしてから失速する。
・イレギュラーが多い。
・コートに弾力があり足腰への負担が小さい。
ハードコート コンクリートに
ゴム加工
・ボールが高く弾む。
・イレギュラーが少ない。
・コンクリートであるため足腰への負担が大きい。
普通
カーペット
コート
絨毯状の材質 ・インドアしかないコートである。
・整備に手間がかからない。
速い
グラスコート 天然芝 ・整備にコストがかかる。
・維持に手間がかかる。
・ウィンブルドンでおなじみの芝生コート。

      テニスコートの材質はいろいろ。インターネットから引用した上記の表には欠落がある。体育館などのインドアコートは板張り(フローリング)だ。我が仲間が会員になっている『名古屋グリーンテニス』(名前には名古屋が付いているが、拙宅から8Km離れた豊田市内の山間地)は、昭和48年の開場時は全てハードコートだった。雨が降っても、降り止んだ後、備え付けのゴム板製のヘラ(塩田の砂掻きにそっくりのT型形状)で水掻きをすれば直ぐに使えるから便利に感じていた。

   でも、加齢と共に膝の故障者が続出。一度膝が痛くなると根治は難しいらしく、テニスを諦めた仲間が約30%もいるほどだ。ある仲間はバック中に転倒して頭を強打し数秒間も失神。翌週から異変が発生。ラケットの空振りが多発。可笑しいと気づいた仲間の指摘を受け精密検査。頭蓋骨に穴を開けて内出血していた血液を抜き取ったら正常に戻った。

   徐々にハードコートの人気が落ち、15年位前から一部をオムニコートに変更。オムニには保水力もあり、小雨程度ではそのままプレイできた。でも、靴が滑りやすくプレイ中に転倒する仲間も多い。しかし、膝への衝撃が比較的小さく、今では26面のうち24面はオムニに変更された。オムニの欠点はプレイ中に砂が靴の中に入ることにあるが、我慢せざるを得ない。

   テラス蓼科では『カーペットコート』が珍しくも採用されている。感触はオムニに似ているが砂はなく、小雨でも短時間ならばプレイできるのが魅力。でも、何故かテニスボールが黒くなる。絨毯材に混入されているカーボンが原因か? しかし、我が仲間はボールは一日で使い捨てにする習慣。私にはボールの変色は全く気にならない。

上に戻る

弱者救済用・石松式ルール

       私は29歳で結婚して以来45年間も毎週、健康維持と楽しい交友を目的に仲間を誘ってテニスを続けているが、どうしても上達しない。小中高校時代を通じて部活もせず運動神経を鍛える努力もしなかった。絶対音感(3歳ごろまでに鍛えないと身に付かないらしい)と同じように、運動神経も肉体の成長期に鍛えないと間に合わないのだろうか?後悔先に立たず。

   引退者の補充を目的として新しい仲間を誘っても、私が勝てるのは長くても数ヶ月間に過ぎない。試合はじゃんけんで組み合わせを決めてダブルスで実施。上手い人と組んでも勝率は10%にも満たない。偶には勝利の気分もたっぷりと味わいたく、私のみに適用する特殊ルールを数年前から提案しては強行。

その1。ハンディキャップの設定

   テニスの勝ち負けのカウント方法は英国の習慣を取り入れた特殊なものだ。勝つ度に、0⇒15⇒30⇒40と数値が上がり、累積して4回先に勝った側がそのゲームの勝者になる。私はゴルフのようにハンディキャップを付けるルールを提案。私がサーバーになったときは初期値を30にした。累積して2回先に勝てば私の勝ちとなるルールだ。

   でも、勝率が徐々に上昇した結果、仲間がぶつぶつ。多勢に無勢。遂にこのルールは廃止させられた。

その2。ポジションの設定

   テニスコートの向きはどこのテニスクラブでも、通常南北に長く造られている。北側からのサーブの場合は、冬季になると帽子を被っても太陽光線が目に入りプレイし難い。私は晴曇とは無関係にいつも南側の且つ右側の位置からサーブを開始している。相手のサーブは常に右側の位置から受け始めることになる。

   仲間がテクニックを磨くために北側からのサーブや、南側でも左側からのサーブの開始も試みたらとの貴重なアドバイスをするが、ますます勝率が下がるのを避けたく、弱者救済のルールだと強弁し、当分取り下げる気はない。総括すれば、難しいバックハンドを使う確率を下げているのだ。

その3。返球時の領域制限



   私が右下の赤丸の下のライン外からサーブをする場合、左上の黒丸の位置からの返球が私の前のネット下、薄い青色の右半分の領域に入った場合は私の勝ちとするルールだ。ネット下に返球されると初動も足も遅い私はボールに辿り着けないからだ。ただし、サーブをした後の初回の返球のみに適用している。

   このルール下では相手の返球は私の近くに落ちる傾向が多発しボールが拾いやすくなる。そのリスクを相手方が避けるためにネットから遠くの位置への返球を意図するとコート外に落ちる場合も多発する。

   ボールの返球方向を自在に変えられる上級者は左側、場合によっては細長いブルーの領域に返球することになる。この制限は相手方にもテニスの訓練に役立つと私は屁理屈を添えている。

   試合が白熱化するとうっかりこのルールの存在を忘れ、相手方が墓穴を掘ることになる。このルールに引っかかる人が出ない日は滅多とない。仲間に一番嫌われているルールだ。私はこのルールで制限されている領域に『土壷(どつぼ)』との愛称を付けた。
   
   『新土壷、ボール飛び込む痛快音』


   我が仲間は私の我儘ルールを許容した上で、勝つことに張り合いを感じるらしい。今回の同行者の内3人は古希を超えているのに今尚テニススクールに通って腕を磨くほど。我が実力が仲間に追い付いて、彼らのストレスの発散対象から脱線することは、避けたいのが本音だ。ある人は『石松さん、口では負けてもテニスでは勝つからね』と言うほどだ。

上に戻る

テラス蓼科
 


      高原での建築には高さ制限があるのか、テラス蓼科は2階建て。部屋数を増やすには細長い建物にせざるを得ず、今回の居室は玄関から100mも離れた位置。階段やエレベータは建物の中心部に配置。温泉風呂は眺望満点の2階だが、移動距離が長過ぎ就寝前の入浴は省略。出入りが不便だ。

   初日はチェックイン時刻前に到着。テニスコートまでは200m。でも、坂道だったので車で移動した。テニスコート横のシャワーとトイレのある小屋でテニスウェアに着替えた。初日は時々微雨。でも、何の支障もなかった。テニスの終了後、玄関での記念撮影は受付嬢に依頼。膝の保護のため用心深く保護具を巻く人もいる。

上に戻る

食事
     
    夕・朝食どちらともバイキングだった。夕食開始直後には宿泊客が殺到するのが常。まるで放し飼いの鶏小屋での給餌開始の雰囲気。それを嫌って少し遅れてレストランへ。我がグループには一つしかない特別な個室が割り当てられていた。程なく副支配人が挨拶に現れた。

   『バイキングなのにどうしてトレー(お盆)が用意されていないの? 私は千手(せんじゅ)観音とは異なり、残念ながら腕が2本しかない。一度に運べる惣菜の種類は2種類。運ぶのが面倒だ。トレーを用意しないのは欲張って大量に料理を取り、食べ残しをする輩対策なのでは?』と詰問。

   今世紀になって日本だけではなく世界的に、中級以下のホテルや旅館だけではなく、10万トン前後(パナマックス船=パナマ運河が通過できる最大の船)の大型豪華クルーズ船でも人件費対策なのか、食材の廃棄量を少なくするためか、バイキング・スタイルが増加してきたがトレーを用意していないのは初体験だ。

   『お客様には常に料理を温かい状態で召し上がって頂くためです』『小鉢に予め盛られている室温のままの料理もあるではないか。トレーがあるはずだ。トレーを使うか否かは客の選択に何故任せられないのか!』『・・・』。
     
   暫くして、ムール貝とアサリの味噌汁を取りに出掛けたら、鍋の中にあるのは貝殻ばかり。私はそれをお椀に入れ、入り口の受付係員に見せた。『バイキング・サービスを履き違えては困る。常に補充し続けるのが当たり前だ。私には貝殻は食べられない。副支配人に報告するように』と苦情一発。

   程なく副支配人が大きな丼に大量のムール貝とアサリを入れて持ってきた。『私はこんなに大量の味噌汁は飲みきれない。バイキングの魅力は好みの料理の多種少量摂取が可能な点にこそある』と嫌味を一言。オープン直後、仲間と一緒に宿泊したときにはワイン1本の差し入れもあった。いわゆる高級料理も多かったが、来るたびにレベルダウン。

   後日(9/28)テラス蓼科には何度も出掛けたと言う大学後輩に、名古屋グリーンテニスでばったり出会った。彼は『テラス蓼科のバイキング料理の品質が落ちてきましたね』と発言。同じ不満を感じていたのだ。

   私にも思い当たる体験がある。25年前(バブル期)くらいの各種懇親会(会費は何故か何時も1万円)ではトヨタキャッスル(当時は豊田市唯一の都市ホテルだった)がいつも使われていた。最初のころは、超大型の紅鮭のスモークサーモン・殻付きの生牡蠣・高級魚の刺身など数十種類の料理だけではなく、会場の両壁際に設営されていた各種屋台では、専門店並みの握り寿司や和牛のビフテキなども用意され、満足していた。

   名古屋市栄には高級食材で有名な明治屋がある。ここでは超大型紅鮭のスモークサーモンを注文するたびに店頭でスライスし、1,300円/100g程度で販売していたが、この名物商品も今では姿を消している。

   いつの間にかトヨタキャッスル(今は交通がより便利な名鉄トヨタホテルに変更しているが・・・)での懇親会では、紅鮭のスモークサーモンだけではなく生牡蠣も姿を消し、回転寿司並の握り寿司や輸入肉の硬いビフテキに変わってきた。会費は同額なのに業者の手抜きが始まっていたのだ。

   翌朝のバイキングにはトレーが用意されていた。当然のことながらトレーは最初からあったのだ。最近のトレーは食器の滑り止め対策としての表面処理がなされている。そのトレーがここでも導入されていた。日々改善がトヨタの現場力の源泉なのに、図に乗ってくると往々にして横着になり、改善どころか改悪するのが人間の本性なのか、と腹立たしくなる。

上に戻る

テニスに熱中









      翌日は快晴。これぞ正しく高原テニス。豊田市には残暑が残っていたが、蓼科は湿度も低く爽やかな清秋。隣のコートでプレイしていた若者に頼んで記念撮影。身長のばらつきは意外に小さい。いわば量産された人間の規格品だ。でも、外観は似ているのに、外からは見えない運動性能には大差がある。自動車のような工場での量産品との大きな違いだ。

上に戻る

露天風呂

      お目当ての露天風呂は眺望満点の2階。4m*15mくらいの長方形。南側には蓼科の山々が聳えるが、視界に人工の建物や民家は一切ない。建設場所の選定努力が偲ばれる。

   朝風呂を楽しんでいたら、山際に突然太陽が現れた。少し斜め上からの日の出だった。太陽は水平線や地平線からの日の出に比べ、最初から昼間のように小さくぎらぎらと輝いた。およそ2分間続いた過渡現象だ。

   早春に来たときは山々に美しく映える残雪が見られたが、夏も過ぎた初秋では紅葉前の緑が鬱蒼と茂った状態なので、イマイチか。

上に戻る

産直市場



      今や道の駅を初め産直市場は雨後の筍も顔負けとなるほどの勢いで開設され始めた。我が仲間には奥様がテニスをする人もいる。『是非同伴されたい。2人部屋を予約しても料金は割り勘にするから』と、幾ら薦めても何故か実現しない。

   産直市場の主役は果物や野菜などの生鮮品と特産物の加工食品。でも、翁達には料理の趣味がないのか野菜には無関心。長野県は果物王国。仲間は幸いにも全員元気な二人暮らし。留守番をしている奥様への御土産探しに忙しく、図らずも愛妻家振りが暴露された。自称亭主関白とは口先だけのようだ。

   私は大きな袋に入った獲り立てのリンゴ8個入りを購入。桃やブドウの種類も豊富。自宅周辺のスーパーの価格など知る由もない翁達は、何故か見栄え第一主義で選んでいるようだ。奥様が皆揃って美人なのも同じ動機か??

上に戻る

珍現象




      どこかのSAで遭遇した珍現象だ。我が仲間(左側のクラウン)の車両ナンバー『99-55』と同じナンバーの車と隣り合わせになった。私は独身時代の昭和42年に車を買って45年。その間に一度も体験したことのない現象だ。

   数学的にいえばこの現象に遭遇する確率は1/5000=0.02%。1/10000にならない理由は左右どちらに同一ナンバーの車が来ても起こり得るからだ。余りにも珍しかったので証拠写真として撮影。ナンバーの前から離れて立った右端の私は邪魔者だった。デジタルカメラの性能向上は今尚日進月歩。ナンバーも鮮明に写る。

上に戻る

おわりに

     宿泊費・ガソリン代・高速道路代・旅聖人がクールボックスに入れて持ち込んだ飲み切れないほどのザプレミアムモルツと各種摘み・夕食時に特注したワインと冷酒や生ビール・テニスコートの使用費・車提供者やドライバーへの薄謝を割り勘にしたら約15,000円/人。ささやかな一泊二食の旅だが、心身共にリフレッシュされた。仲間の一人からは下記のメールを拝受。
   
   2日間にわたる蓼科でのテニス合宿にご一緒させていただきありがとうございました。みなさまの歳を感じさせないハッスルプレーに元気をもらいました。最後の試合ではフルセットの末、石松さんにやられたのが悔しかった。私の体調は確実に回復し、僅かではあってもテニスの腕も向上していたのだ。
   
   テニスの後、シャワーを浴びたままでの全身森林浴は最高でした。温泉に浸かり、ビールを飲みながらの談笑の場もよかったですね。途中アクシデントもなく、合宿ができたことを感謝します。
   
 
  氏はナルシシストではないかと勘違いするほどの美肌の持ち主。古希過ぎても体表面には未だ小皺も少なく垂れ尻も殆ど発生していない。仲間が50m離れた駐車場に集まったころ、シャワー室から全裸で現れて仲間に向かい、両手を上に伸ばし見てくれ我が肉体美をと言いたげな姿勢!
   
   でも、フィレンツェのアカデミア美術館に鎮座している、ミケランジェロの不朽の名作『ダビデ像』と見比べると、老いと共に衰えた筋肉までは氏も流石に隠せないようだ。

   
   2年前の8月下旬、宇奈月温泉と黒部峡谷に出掛けた折のことだ。(我がホームページから)
   
   黒部峡谷鉄道で黒薙駅まで移動。降車客は我が仲間の三人だけ。客の多くは終点の欅平まで行くらしい。黒薙温泉は黒部川の支流『黒薙川』にある。僅か600mの距離だが一山越えるのはがん患者の私には一仕事。道中100m置き位の密度で『あと何メートル、頑張れ』との励ましの標識。道端には箒。通路の清掃は徹底していた。

   野天風呂の入り口には木造二階建ての小さな温泉旅館があり、入浴料500円を支払う。管理人夫妻は食堂も経営していた。



   黒薙川の川原には28畳敷きの大野天風呂が整備されていた。浴底には黒部川の天然石を平らに磨いた石が隙間なく敷かれていた。水着着用の義務はなく伸び伸びと楽しめた。湯温は推定39度。長湯も楽しめた。

   傍らに大きな液体炭酸ガスボンベがあり、上から常時水が掛けられていた。その直ぐ上に金網製の大きな虫篭(罠)があった。風呂の周りには大きな無数の虻(あぶ)が飛び回っていた。虻は炭酸ガスに引きつけられるそうだ。

   でも、これだけの対策では不十分のようだ。仲間の二人は数箇所も虻に咬まれ出血。更には腫れあがった。人間の汗腺からも少量の炭酸ガスが出ているのだろうか?
   

   氏の皺一つなくピカピカ光っていた淡いピンク色の亀頭(ユダヤ民族の伝統である神聖な割礼の習慣を、ミケランジェロに無視されたダビデ像は完全なる包茎⇒亀頭は表現されていない)には虻も魅力を感じたらしく、急降下してチクリ。体力も衰え、老醜が現れてきた私は虻にすら無念にも見放されていた。
   
蛇足

   私は連休明けの5/6から断酒の決行と大腿筋の強化特訓以外に、少しでも健康を回復したくて生活習慣を少しだけ変えた。昭和49年12月7日の新築移転以来家庭菜園に取り組んでいたが、梅雨入り後は高温多湿の気候下で薮蚊に立ち向かう気合も徐々に薄らぎ、毎年訪れる8月中〜下旬の秋・冬野菜の種蒔きや苗の移植時期には、1メートルを超えた雑草除去に古希以降は3日間も掛けていた。

   今年こそはと初心に返り、連休明けから毎週1回*2時間の家庭菜園の維持管理を徹底すると、流石の逞しい雑草にも大きく育つ時間が足り無くなった。20坪の畑には収穫期の夏・秋野菜と生育中の秋・冬野菜が合計37種(10/8現在)にもなった。

   東西方向に造成している畝に沿って、畑の南東の位置から一筆書きで北西の位置まで2.5回往復しつつ野菜の種類をメモ書きしたら、下記の順番になっていた。

@ 収穫中21種


   冬瓜・小松菜・オクラ・大葱・八つ頭・チシャ・モロヘイヤ・赤い二十日大根・白い姫大根・ルッコラ・ニラ・空芯菜・小葱・三つ葉・茗荷・フキ・ツワブキ・大葉・秋採りキャベツ・バジル・苦瓜。
   
   冬瓜は畑の片隅に生塵や抜き取った雑草を堆肥化する目的で掘った穴から自生した蔓を1本、貝塚息吹の垣根に絡ませて育てた。10月上旬に5個収穫⇒平均9Kg/個。2個肥培中。食べきれない分は友人や知人の希望者に差し上げた。冬瓜そのものには鱶鰭(ふかひれ)やツバメの巣と同じように味覚は殆どなく、美味しいスープと一緒に喫食している。
   
A 生育中・16種

   大根・聖護院大蕪・人参・紅菜苔・高菜・落花生・自然薯・白菜・セロリ・冬採りキャベツ・ニンニク・ジャガイモ・ブロッコリー・冬採り玉葱・メキャベツ・イチゴ。
   
   たった1本の自然薯からは丼一杯のむかごを収穫。むかご飯を楽しむだけではなく、電子レンジで軽く加熱すると栗以上に美味しく食べられた。

   平均すれば1種類の栽培面積は高々1畳。収穫を終えた後、狭い農地を遊ばせるのが勿体なくて直ぐに次の野菜の種撒きか購入したポット苗を移植。結果的には収穫中と生育中の野菜が無秩序にモザイク状に入り混じり、畑の美観は失われたが次第に種類も増えて楽しくなった。

   一度の耕運作業面積が狭くなった結果、準備が面倒な電動耕運機は使わず、備中・鍬・レーキ・スコップ・移植鏝(コテ)などの農機具を使う筋肉労働に逆戻り。冬採りほうれん草や春採り絹さやの種を早く撒きたいのに空き地待ち。
   
   更に、今年の1月末に完成した棚田式(5段*幅50cm*長さ4m=3坪)のミニ花壇の手入れも追加。最後に電動芝刈機で猫の額のような僅か20坪の芝刈を済ませ、露天風呂から庭の芝生・花壇・家庭菜園を眺めつつ、1時間のんびりと筋肉疲労のリハビリ。
   
   この日だけは断酒を一時的な節酒に切り替え、好きなザプレミアムモルツを1缶だけ痛飲。細々と生きている年金生活者でも『工夫さえすればお金も然して掛からず、更には誰にも迷惑を掛けずに生き延びられる人生の幸せ』を感じ取れた。がんの再発を警戒しながらも知足余生が、健康のための僅かな努力で得られたのだ。 
   
   
上に戻る

読後感

まずは「劇的な回復」に心から大拍手です。小生は小学校6年生時に懐かしい平和台球場で(当時小・中編成チームのチーム・・・福岡県内代表4チーム)決勝戦のみ、審判故大下弘で優勝した経験から野球が中心でした。

大学入学時に野球部に入る決意寸前で、硬式は怖いし軟式はちょっと迷っているところに同じクラスの中村君にテニス部を強力に進められ、小生はテニスなら硬式と思っていましたが、中村君の殺し文句「ラケット代が安い。軟庭なら俺が懇切指導する」
ということで大学時代は合宿・遠征には極力参加しましたが、石松様のお言葉通り小生運動神経にかなり自信あるも、レギュラーにはなれずじまいでした。

そのため貴先輩がテニスを現在まで続けられていることに敬服し、さらに石松流ルールもちょっとせこい内容も大体理解できました。
更に試合にも勝利を収められたとのことでおめでとうございます。また、家庭菜園もますます充実されているようで頭がさがります。 

ただ、挿入されていると思われる写真がみることが出来ません。(何度もチャレンジしましたが小生のパソコンが原因か??)

ご体調の回復の朗報がなによりです。 益々のご健勝を祈ります。

びっくり仰天。ホームページの更新時には十分の注意を払ったつもりでしたが、写真が脱落していたとのご指摘に感謝。10/18深夜午前1時にプロバイダーの担当者に電話でいろいろ教えていただいきトライしたものの復元できず。

10/18午前9時に再度、昼勤担当者と連絡を取り、来宅支援を依頼することにしました。IBMの最新版ホームページビルダー16の使用法を教えて貰う予定です。毎日200人を超える読者に申し訳なく・・・。


********************************

@ 大学後輩・工・経・銀行員

***********************************





上に戻る